みちに明るかったから、利子のことがなかなか細かく手堅かった。日歩六銭は欠かさず手取りということにして、それ以上は中尾の腕次第、九銭で貸付けた時は一銭五厘、拾銭のときは二銭という風に中尾に歩分けした。中尾が掠りを取ることを念に入れておいて、手数料は手取り利子の七分ということにした。
 中尾は龍子の金を信託された責任を負い、そして、龍子は、その委託金の融通権限をもっていた。
 この歌うたいは、笑窪のよったあどけない顔で、いろいろな指示をした。貸し金は小口を主として、返済は三ヵ月限度とし、貸付範囲はサラリーマンを主としていた。
 或る日も、中尾は訪ねてきて、こんなふうに切り出した。
「千三百円ばかりどうでしょう? 銀行員ですがね」
「担保は?」
「それがね、郷里に地所があるとか言ってるんですがね、どうも、あやしいんでね」
「調べに行くんなら調査旅費を出させなさいな。いつかの川越みたいに、持ち出しの徒労《ただ》帰りじゃあ……」
「いやあ、あれを言われちゃあ」
 と、中尾は大袈裟に頭をかいた。「当人はね、保証人を立てるようにしたいって言ってますが、どんなもんでしょう?」
「保証人なら少し割り高に貰わなくっちゃあ、ねえ」
「八銭というところでしょうかな」
「九銭九銭。中尾さんはお人が良いから駄目よ。きっと一杯奢られたのね」
「一杯は一杯でも、珈琲じゃあねえ」
 と、言いざま、中尾は眉をひらいてわっはっは、と笑った。
 ちょうど、茶をはこんできた寿女は、何事かと立ちつくしていたが、釣られて、つい貰い笑いをした。
 この奥住の家にきてから寿女は、だんだん燥ゃぎ出すようになった。数寄屋町時代の、おどけたことを言うては人を笑わせてばかりいた寿女に戻ったようであった。龍子の弟子たちが稽古をすませて寛いでいるところへ、菓子などをはこんで行って、よく、こんな冗談を言う。
「わたしなんか、生まれつきの、とってもいい声なんですけれどねえ。惜しくって、みんな、この袋の中に納まい込んでありますの」
 そして、盛り上った背を得意気にゆすぶってみせたりする。
 はじめのころは言葉もかけなかった令嬢たちも、次第にうち解けて、こんな冗談をきくたびにキャッキャッと笑って、「おもしろいせむし[#「せむし」に傍点]さん」だと評判し合った。
 寿女は刺繍にかかり詰めるようになった。夜ふけて、ふと眼ざめた龍子が、灯りのついている女中部屋を訝かって覗いてみると、枠におしかぶさって寿女が針を刺している。声をかけても気付くふうもなく、ただ、ひたむきに刺している。その容子のただならぬ一途さに、ふと、異様なものを見る気がして、龍子は怖気立つときがあった。
 繍の手をよくしているということは龍子も知っていたから、これを重宝がって、半襟だの帯だの袱紗だのクッションだのに、無暗と刺繍をさせた。そして、これを知人や弟子たちへの贈り物にもした。
「ねえ、お寿女さん、こんなきれ[#「きれ」に傍点]があまっているけど、花模様か何かの刺繍してスリッパでも拵さえたらどうかしら。可愛らしいのが出来るでしようねえ」
 小ぎれ箱をかきまわしていた龍子が、はずみ立って、こんなことを言うときがある。自分の思いつきに軽い興奮をおぽえて、小ぎれをいろいろに取り出して並べながら、
「お弟子さんたちへスリッパの贈り物をしようかしら。残りぎれのお手製スリッパなんて、ちょっと気がきいててよ」
 弟子たちからは何かにつけて高価な贈り物が届けられるので、龍子も時には返礼をする。そして寿女は吩咐けられてクリスマスまでの一と月足らずの間に精を出して、二十足あまりのスリッパの分《ぶん》に刺繍を仕上げなければならない。かかり詰めていて、電話のベルにも気が付かずにいて、よく龍子に小言をいわれた。
 龍子にかしずくこと、龍子に命じられ龍子に小言をいわれることさえ、寿女には歓びであった。龍子の傍近くに居られるということだけでも、寿女は無上の満足感動をおぼえていた。寿女にとって、龍子は、心魂を高め潤おす一つの魅力であった。寿女の眼には、その魅力しか映らなかった。
 龍子の前では背をみせることが、寿女には何か臆せられた。やむを得ない用事で立たなければならない時は、冗談口をきいたり髪へ頻りに手をやったりして、龍子がそれに気をとられているまに、壁や襖に添うて何気ない風に素早く去った。
 春の初めの凍てつくような寒さが続いて、寿女は感冒にかかり咳込むようになった。二三日早寝をすると、どうやら咳も止まったので気にもとめずに働いた。暇さえあれば、小枠の刺繍にかかり詰めた。これに打ち込みはじめたのは、二年ばかり前からであった。
 食事が進まず、五月に入ってから二日ほどまた早寝をした。医者に診てもらってはどうか、と龍子は口では勧めながらも、あり合せの感冒薬で間に
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