しは知人の娘から聞かされていた。目前の、愛想のいい面立ち、いかにも優しい魅力にとんだ仕草などを、しみじみと眺めながら、娘たちが騒ぎ立てるのも無理がないと思った。
喫茶店に寛いだ時、わたくしは、ふと、寿女さんのことを思い出して、話してみた。
「まあ、お知りあいでしたの」
女史の面には、瞬時、硬い意外の表情が現われたが、すぐと、にこやかに令嬢たちを見まわして、
「このひとたち、みんな、お寿女さんのファンでしたのよ」と言った。
女史は、寿女さんを引き取った時のことから話しはじめた。うっすらと涙ぐみさえしながら話した。令嬢たちも相槌をうちながら、刺繍の巧い人だったと頻りに故人を賞めあった。
話しながら女史の眼は、素早い上眼づかいでわたくしを視る。わたくしが俯向いていたり、他に気をとられているような場合である。女史のこの素早い上眼づかいは、話しの効果を窺っているとも、また、わたくしを窃かに観察しているともみえる。女史の愛嬌たっぷりな如何にも魅力に富んだ面にもかかわらず、この偸み見は何か暗い気持ちにさせられる。この素早い眼づかいの裡に、わたくしは、妙に、打算の閃きと同時に、油断のなさとでもいうようなものを、見たような気がした。
口うるさい楽壇雀どもは、女史のことをいろいろと噂して、独り暮しではかかりも尠かろうし、もう相当に貯ったろう、などとも蔭口をきいている。これは、当っていないことも無さそうだ。家作をもっているとか、預金帖を三通りも持っているとか、株にも手を出しているとか、噂は種々出ているけれども、このうち、株と家作の話は信じきれない。これは龍子の性分に合わない事だからである。
龍子の弟子たちは、先生が遠縁の佝僂女を引き取ったということについて、まちまちの推量をしていたが、これは、先生が憐憫慈悲の心からしたことだと思い合わされてからは、いよいよ尊敬の念を深めた。親類の者たちは、どっちかというと、吻っとしながらも、龍子の物好きを訝かった。
龍子は寿女へよく目をかけた。不様だけれども、この娘はよく働く。恩恵を感じて給金を辞退するばかりか、どこからか賃仕事を探してきては、暇さえあれば縫っている。勝手元の小物だの惣菜だのを買う時にはその縫い賃を足し前にしている。龍子は気の毒がりながらも、結局、それを重宝がった。
この家へ、時折り、中尾通章という四十年配の男が訪ねて来る。生憎、龍子が稽古をつけているような時は、奥の茶の間に片手枕で寝ころんだり、勝手に茶を淹れて喫んだりしながら、寿女を相手に冗談口をきいたりする。また、時には、なぐさみにピアノも敲けば、コーラスに加わって興じたりする。龍子のことを、この男は「先生」と呼んでいるが、弟子たちの口真似をしているというよりも、これには揶揄の調子が含まれていた。
中尾通章は音楽雑誌の記者くずれで、いまは「便利屋」のようなことをやっている。つまり、人の使い走りをしたり、ブローカーのようなことをしたり、音楽会の世話をやいたりしているうちに、いつしか「おっと、これは便利だ」型の男になり澄ましていた。
人の私生活の鍵をまかされる場合が多いから、この男は、心得顔に土足で何処へでも入り込む。それを自身に与えられた当然の役得としているし、まかせた人々は「困った奴だ」と愚痴をいいながらも諦めて、それを大眼にみていた。
さるピアニストが或るピアノ調律師へ金を融通したところが、期日をすぎても返さぬばかりか、日を重ねるにつれてだんだん埒があかなくなり、そのうち行方さえ晦ましてしまった。引きうけた中尾通章は、どう探し出したか、程なくその調律師から貸金の全部を取り立ててきたという。そのピアニストから龍子はきかされたことがあった。
また、或る時、龍子にあらぬ噂が立って、それが三流新聞の娯楽面いっぱいに事々しく掲げられたことがあった。来合わせた中尾に、つい興奮して憤慨を洩らすと、翌日のその新聞に謝罪文が出た。中尾がねじ込んだことだと後で解った。
龍子が中尾に金を委せるようになったのは、この二つの事であらまし中尾という人物の見透しがついたからであった。中尾のような男は、自分のことでは消極的だが、他人《ひと》のことでは奇妙に積極的になれるものである。粘りづよく強引に、時には居直るほどの強気を持ち合わせているのも、この種の男である。龍子は、そこを見込んだ。
中尾に金を託して融通させるのであるが、おもては、中尾自身に貸し付けたことになっている。中尾の伯父に、京橋目抜き通りの地所持ちがいることを知っていたから、保証人は、この人にしてはどうかと勧めてみた。万一のことを龍子は慮ったからである。どう話し合いがついてか、中尾は直ぐに伯父の判をもらってきた。証文は二通、借用証書と手数料契約書が交わされた。
この歌うたいは、算盤の
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