C味が悪くなつて云つた。「成程、それは不思議な毛だね。人間の毛ではないね。」
「さうさ。僕だつて人間の毛だと云つてはゐないぢやないか。併し僕の考を話すより前に、君にこの図が見て貰ひたい。これは僕があの時鉛筆で写して置いたのだ。証人共が紫色になつてゐる痕だと云つたり、ドユマアやエチアンヌが皮下出血の斑点だと云つたりした、あのレスパネエの娘の頸の指痕だよ。」かう云つて友達は卓の上にその紙を拡げた。「この痕で見ると、一掴にしつかり掴んだもので、指が少しもすべらなかつたことが分かる。一度掴んだ手は、娘さんが死んでしまふまで放さなかつたのだ。ところで君の右の手を拡げてこの指の痕に当てがつて見給へ。」
 己は出来るだけ指の股を拡げて、図の上に当てがつて見たが、合はない。
「ところでまだ君のその手が今の場合に合はないだけでは、正碓な判断が出来ぬかも知れない。なぜと云ふにその紙は平な卓の上に拡げてある。人間の頸は円筒形になつてゐる。こゝに円い木の切がある。大抵大きさも人間の頸位だ。これにその紙を巻いて手を当てゝ見給へ。」
 己は友達の云ふ通りにして、又手を当てゝ見たが、やはり合はない。この時己は云つた
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