フ前側《ぜんそく》の窓は曾つて開きありたることなし。中庭に向ひたる窓はいつも閉ぢありて、只第四層の奥の広間の窓のみ開きありき。家は堅牢なる建築にて未だ古びをらず。
 イジドオル・ミユゼエと云ふ憲兵卒の申立は次の如し。本人は午前三時頃レスパネエ家に呼ばれたり。戸口に到着せし時には、二三十人の人屋内に押し入らんとしてひしめきゐたり。本人は已むことを得ず銃剣を用ゐて扉を開きたり。鉄棒を用ゐしにあらず。扉は観音開にて、おとしの如きもの上下ともになかりしゆゑ銃剣にて開くことは容易なりき。叫声は扉を開くまで聞えたりしが、開き終りし時突然止みたり。叫声は一人なりや数人なりや明かならざりしが、必死になりて発せしものゝ如くなりき。高声を長く引きたり。忙《いそが》はしげに短く発したる声にはあらざりき。本人は戸口にありし数人と共に梯子を登りたり。第一の梯子を登り終りし時、二人の声を聞き分くることを得たり。二人は声高に物を争ふものゝ如くなりき。一人の声はあららかにそつけなく聞えたり。今一人の声は一種異様なる鋭き声なりき。前の人の詞は一二語を辨別することを得たるが、その人はフランス人なりしものゝ如し。無論女子に
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