フ如し。本人は殆ど四年前より少量の刻煙草及嗅煙草をレスパネエ夫人に売却しをれり。本人は近隣にて生れしものにて未曾つて住所を離れたることなし。レスパネエ家の母子は彼屍体を発見したる家に移住してより六年余になれり。彼家屋には初め宝石商の住めるありて、その人は上層の諸室を種々の貸借人に貸しゐたり。元来家屋はレスパネエ夫人の所有なりしに、宝石商これを借り受けをり、濫に上層を他人に又貸ししたる故、夫人はその所為に慊焉《けんえん》たるものあり。終に自ら屋内に移り来て、それより上層を何人にも貸すことなかりき。老夫人は子供らしくなりゐたり。本人は前後六年の間にレスパネエ家の娘に五六回会見せり。母子とも社交を避けゐたり。世評に依れば財産家なりしものゝ如し。本人は隣家の人の口より老夫人が巫女《みこ》なりしことを聞きしが信ぜざりき。老夫人の家に出入する人は殆ど絶無にて、母子の外出するを見掛けし外には、門番の男の顔を一二回見たると、医師の出入するを八九回見たるとを記憶するのみ。
 その外近隣の人数人の申立あれども皆大同小異なりき。人の全く出入せざる家なれば、母子に親族の現存せるものありや否やを知るものなし。家
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