轤オい。丈が高く、力がありさうで、全身の筋肉が好く発育してゐる。どんな悪魔にも恐れさうにない大胆な顔附をしてゐるが、意地が悪さうには見えない。顔はひどく日に焼けてゐて、鼻から下は八字髭と頬髯とで全く掩はれてゐる。手に大きい槲《かし》の木の杖を衝いてゐる外には、別に武器は持つてゐない。不細工な辞儀をして、純粋なパリイ人の調子で「今晩は」と云つた。
「まあ、掛け給へ。君は猩々の一件で来たのだね。実に立派な代物だ。随分|直《ね》も高いのだらうね。大した物を持つてゐるぢやないか。わたしは羨しくてならないね。あれで幾つ位になつてゐるのだらう。」ドユパンはこんな調子で話し掛けた。
 水夫は太い息をした。やれ/\余計な心配をしたが、この調子なら安心だと思つたらしい。そしてゆつくりした詞で云つた。「さうですね。わたしも好くは知りませんが、精々四歳か五歳位でせう。こゝに置いてありますか。」
「いや、どうもこの家にはあれを入れて置くやうな場所がないからね。ぢき側のドユブウル町の貸厩《かしうまや》に預けてあるから、あすの朝取りに往つて下さい。君が持主だと云ふ証明は十分出来るでせうね。」
「それは出来ます。」
「どうもあゝ云ふ代物を君に返すのは、惜しいやうな気がするね。」ドユパンはかう云つた。
 水夫は答へた。「それはお骨折をして下すつただけのお礼はしなくてはなりません。大した事は出来ませんが。」
 ドユパンは云つた。「成程。そこで、まあ、わたしに考へさせて貰はなくては。幾ら貰つたものかね。わたしの方からいづれ幾らと切り出さなくてはなるまいが、それより先に君に聞きたいことがある。君、あの病院横町の人殺事件をこゝですつかり話して聞かせてくれ給へ。」
 ドユパンはこの詞の後の半分を小声でゆつくり言つて、徐《しづか》に立つて戸口に往つて鑰《ぢやう》を卸して、鍵を隠しに入れた。それから内隠しに手を入れて拳銃を出して、落ち着き払つてそれを卓の上に置いた。
 水夫の顔は忽ち真つ赤になつた。水に溺れさうになつた人の顔のやうな表情である。さうして跳り上がつて槲の木の杖を持つて身構をした。併しそれはほんの一瞬間で、水夫は忽ち又死人のやうな蒼い顔になつて、身を震はせながら椅子に腰を卸した。己は側で見てゐて、心《しん》から気の毒になつた。
 その時ドユパンは優しい声で言つた。「君、何もそんなに心配しなくても好い
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