己は御身に警告せずして罷《や》むに忍びない。己の次は御身だ。危険が御身に及ぶと云ふことは、この珍らしい娘の目の中で己が読んだ。己が此危険を御身に予告するのは、己が嘗て御身に禍を遺した罪を贖《あがな》ふ所以《ゆゐん》である。
 此予測は或は御身が思ふ程|厭《いと》ふべき事では無いかも知れない。今からは目に視えぬ脅迫が御身の頭上に垂れ懸かつてゐる。併し今から後御身が一切の受用に臨んで、一層身を入れて一層熱烈にこれを享《う》けるのは、此脅迫の賜ものであらう。青年は兎角何事をも明日に譲つて恬然《てんぜん》としてゐたがる。御身のこれまでの快楽には必要な刺《とげ》が無かつた。己は其刺を御身に貽《おく》るのだ。御身は己に感謝しても好からう。さらばよ。我指はもう拘攣して来た。老いたるバルヂピエロは恐らくは今晩最終の一杯を傾けたのだらう。」

     三

 評議官の手紙の中で言つてゐることは吾を欺かなかつた。此手紙を読んだ日から己の心の内には新しい感じが生じた。此精神状態はこれまで夢にも見たことの無い状態である。手紙によれば己の性命を覗ふものがある。少くも心の内では、己の玉の緒を絶たうと企ててゐるも
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