飲み続けて、肴には果物を食つた。その果物は黒ん坊が銀の針金で編んだ籠に盛つて持つて来たのだ。己は果物の旨いのを機会として、主人に馳走の礼を言つた。主人がこれに答へた辞令は頗る巧なものだつた。余り思ひ設けぬ来訪に逢つたので、心に思ふ程の馳走をすることが出来ない。只庭を見せて食事を一しよにする位の事で堪忍して貰はんではならない。その食事も面白い相客を呼び集める余裕は無いから、自分のやうな不機嫌な老人を相手にして我慢して貰はんではならない。せめて音楽でもあると好いのだが、それも無いと云ふのだつた。己はかう云ふ返事をした。相客や音楽は決して欲しくは無い。先輩たる主人と差向ひで静に食事をするのが愉快だ。只主人の清閑を妨げるのでは無いかと云ふ事丈が気に懸かる。勿論かう云ふ機会に聞く有益な話が、どれ丈自分の為めになると云ふことは知つてゐると云つた。主人は項垂《うなだ》れて聞いてゐたが、己の詞が尽きると頭を挙げた。そしてかう云つた。お前の礼儀を厚うした返事を聞いて満足に思ふ。お前も今さう云つてゐる瞬間には、その通りに感じてゐるかも知れない。併しも少しするとお前の考が変るだらう。それはお前が一人で敷布団
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