い。」セルギウスはかう繰り返した。そしてこれまでも度々こんな祈祷をして、それがいつも無駄であつた事を考へた。自分の祈祷は他人には利目がある。それに自分で自分の事を祈祷して見ると、僅ばかりの名聞心をも除いて貰ふ事が出来ない。セルギウスは自分が初めて山籠をした頃、自分に清浄、謙遜、慈愛を授けて貰ひたいと神に祈つた事を思ひ出した。それから指を切つた時の事を思ひ出した。自分の考では、その時はまだ自分が清浄でゐて、神も自分の訴を聴いて下さつたのである。セルギウスは尖《さき》を切つた指の、皺のある切株に接吻した。あの頃は自分を罪の深いものだと思つてゐて、却て真の謙遜が身に備はつてゐた。それから人間に対する真の愛も、あの時にはまだあつた。酒に酔つた老人の兵卒が金をねだりに来た時も、深く感動して、優しく会釈をして遣つた。あの女をさへ矢張優しくあしらつたのである。それに今はどうだ。一体|今日《こんにち》己に近づいて来る人間のうち、誰かを己は愛してゐるだらうか。あのソフイア・イワノフナ夫人はどうだらう。あの年の寄つたセラビオンはどうだらう。けふ集つて来た大勢の人はどうだらう。その中でもあの学問のある若い教
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