授はどうだらう。己は目下のものに物を教へるやうな口吻であれと話をした。その間いつも己はこんなに賢い、こんなにお前よりは進んだ考をしてゐるぞと、相手に示さうとしてゐた。己は今あの人々の愛を身に受けようとして、その身に受ける愛を味つてゐる。その癖己はあの人々に対して露ばかりも愛を感じてはゐない。どうも己には今は愛と云ふものが無くなつてゐる。随つて謙遜もない。純潔もない。さつきも商人が娘の年を二十二になると云つた時、それを聞いて好い心持がした。そしてその娘が美しいかどうか知りたいと思つた。それから病気の様子を問うた時も、対話の間に、その娘は女性の刺戟があるかないか聞き出さうと思つてゐた。「まあ、己はこんなにまで堕落したのか。天にいます父よ。どうぞわたくしの力になつて下さい。わたくしを正しい道に帰らせて下さい。」かう云つてセルギウスは合掌して、又祈祷をし始めた。
 その時ルスチニア鳥が又森の中から歌の声を響かせた。鞘翅虫が一匹飛んで来て、セルギウスの頭に打つ付かつて、項《うなじ》へ這ひ込んだ。セルギウスはその虫を掴んで地に投げ付けた。「えゝ。一体神と云ふものがあるだらうか。己が何遍門を叩いても
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