《あた》つて土間に落ちた。指の痛をまだ感ぜないうちに、指の地に落ちた音が聞えた。併しまだ気の落ち着かぬうちに灼《や》くやうな痛がし出して、たら/\流れる血の温みを覚えた。セルギウスは血の滴る指の切口を法衣の裾に巻いて、手をしつかり腰に押し付けた。そして庵室の中に這入つて、女の前に立つた。「どこかお悪いのですか。」声は静であつた。
女はセルギウスの蒼ざめた顔を仰ぎ視た。僧の左の頬は痙攣を起してゐる。女は何故《なにゆゑ》ともなく、急に恥しくなつて、飛び上つて、毛皮を引き寄せて、堅く体に巻き付けた。「わたくし大変に気分が悪くなりましたものですから。きつと風を引いたのでございませう。あの。セルギウスさん。わたくしは。」
セルギウスはひそやかな歓喜に赫く目を挙げて女を見た。そして云つた。「姉妹よ。あなたはなぜ御自分の不滅の霊魂を穢《けが》さうとなすつたのですか。世の中には誘惑のない所はありません。併し自分の身から誘惑の出て行くもの程傷ましいものはありますまい。どうぞあなたも祈祷をなすつて下さい。主が我々にお恵をお垂下さるやうに。」
女は此詞を聞きながら、セルギウスの顔を見てゐた。そのうちな
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