うとしたが、夫人は不機嫌になつて、どうぞ自分にだけは構はないで貰ひたいと言ひ放つた。
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セルギウスが山籠をしてからもう六年経つてゐる。セルギウスは当年四十九歳になつてゐる。山籠の暮しは却々《なか/\》つらい。断食をしたり、祈祷をしたりするのがつらいのではない。そんなことはセルギウスの為めには造作《ぞうさ》はない。つらいのは、思も掛けぬ精神上の煩悶があるからである。それに二様の原因がある。その一つは懐疑で、その一つは色慾である。
セルギウスは此二つのものを、二人の敵だと思つてゐる。その実は只一つで、懐疑の剋伏《こくふく》せられた瞬間には色慾も起らない。併しセルギウスは兎に角悪魔二人を相手にして戦ふ積りで、別々に対抗するやうにしてゐる。
その癖二人の敵はいつも聯合して襲つて来るのである。
セルギウスはこんな事を思つてゐる。「あゝ。主よ。なぜあなたはわたくしに信仰を授けて下さいませんか。色慾なんぞは、聖者アントニウス、その外の人々も奮闘して剋伏しようとしたのです。併し信仰だけは聖者達が皆持つてゐました。それにわたくしは或る数分間、乃至或る数時間、甚だ
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