子を拵へて、日曜日に孫達に食べさせようと思つてゐる。
丁度娘マツシヤは一番小さい孫を抱いてゐる。この抱いてゐる子の外の四人《よつたり》の中で、上の方の二人は学校に往つてゐる。その二人は男の子が一人に娘が一人である。婿は昨夜寝なかつたので、昼寝をしてゐる。
パシエンカも昨夕《ゆうべ》は大分遅くなつて床に這入つた。それは婿のだらしのない事に就いて娘が苦情を云ふのを宥《なだ》めなくてはならなかつたからである。パシエンカの目で見れば、婿は体が弱くなつて次第に衰へて行くばかりで、これから身を持ち直すことが出来さうにはない。幾ら娘が彼此苦情を言つたつて駄目である。そこでパシエンカは極力娘の苦情を抑へて、夫婦の間の平和と安穏とを謀つてゐる。パシエンカは生得《しやうとく》人の不和を平気で見てゐることが出来ない。人が喧嘩をしたつて、それで悪い事が善くなる筈がないと信じてゐるのである。併しそんな事を別段筋を立てゝ考へはしない。人の腹を立つたり、喧嘩をしたりするのを見てゐるのが厭なので、それを止めさせようとしてゐるばかりである。その厭さ加減は臭い匂や荒々しい物音や、又自分の体に中る鞭ほど厭なのである。
パシエンカが今台所で、粉に酵母《もと》を交ぜて捏ねることを女中のルケリアに教へてゐると、そこへ六つになる孫娘のコリヤが穴の開いた所へ填め足しをした毛糸の靴足袋を、曲つた脛に穿いて、胸に前垂を掛けて、何事にかひどく驚いた様子で駆け付けて来た。「お祖母《ば》あさん。恐ろしいお爺いさんが来て、お祖母あさんにお目に掛かりたいつて。」
ルケリアが外を覗いて見た。「ほんに巡礼らしい爺いさんが参つてゐます。」
パシエンカは痩せた臂に付いた粉を落して、手尖の濡れたのを前掛で拭いた。そして部屋に往つて五コペエケンを一つ持つて来て遣らうと思つた。併しふと銭入に十コペエケンより小さいのがなかつた事を思ひ出して、それよりはパンを一切遣る事にしようと思案して、押入の方へ往つた。ところがまだパンを出さぬうちに、少しばかりの銭を惜んだのが恥かしくなつて、パンを切つて遣る事は女中に言ひ付けて置いて、その上に十コペエケンをも取りに往つた。「これが本当に罰が当つたと云ふものだ。ちよいと吝《けち》な考を出したゞけで、遣る物は倍になつた。」パシエンカは心中でかう思つた。
パシエンカは「余り少しだが」と断を云つて、パン
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