蕎麦の味と食い方問題
村井政善
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)否《いな》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)蕎麦は栄養価値中[#「蕎麦は栄養価値中」に傍点]
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その昔、武士と通人は「もり」、町人は「かけ」を好み、百姓は「饂飩」と定まっていたという話があります。
蕎麦の味は「もり」にあり、種物食うべからずという位のものとされているなどと通人はいっています。この「もり」の水が切れるか切れないかというちょっとした間は、蕎麦の一番旨いものとされているのであります。水気が多く残っていてもいけないし、またもそもそにのびてしまってはなおさらいけないもので、旨いという時は水気を切ったその時であります。
蕎麦は硬い方がよいなどと通人のような「キザ」なことをいって、生蕎麦を食って喜んでいる人もあるというから、人はさまざまであります。
専門家にいわせると、「もり」は蒸籠の四隅に盛って平らにならして出すのは本当であるといっています。そうすると箸でつまんでするするといつまでも続いて立って食わねばならないようなことになって、これがよいとされているのでありますが、面倒といった風に真中へ盛り上げて四方に広げるものですから、引いても引いても蕎麦が固まり続いて、顔を横にして食い切ったり箸ではさみ切ったりすることになります。これは蕎麦屋の職人が悪いからでありますが、これなども主人の心得一つであります。また素人で通ぶって「どうも蕎麦は箸ではさんで千切れるようなのはいけない、するするつながって来る方がよい」などという人があるのですから、段々蕎麦も悪くなり、また職人も不真面目になってごまかしものを作ったり支那蕎麦を拵えたり、時には蕎麦か饂飩の見分けのつかぬものを作るようになるのであります。
蕎麦の食い方は、箸ではさんで尻の方を一寸三分ばかり汁へつけて、箸の方から口へ入れ、一度汁のつかないままで、口でしめしてから本当の蕎麦の味と香気を味わいて後、静かに汁のついている方を吸い込んで煮出汁の味が分るものであります。
著者は、時々宅に取り寄せて食べることもありますが、これは第一まずい。蕎麦屋に行って食べるような味はしないので、食べ方研究のためなどと口実をもうけて出かけることも多いが、近来蕎麦屋へ行ってもまずいことが多い。第一椅子に腰をかけて靴のままで蕎麦を味わうというのですから、旨かろう筈はない。また端で食べている人々を見ても如何にスピード時代とはいいながら、「かけ」を食べているのか「もり」を食べているのか分らないようで、「もり」を食べるに、汁の中へ薬味をうんなり入れ込み、その汁へ蕎麦を浸け込んで食べている人が多い。丁度「かけ」の冷ましたものを食べているようであります。これは蕎麦の味などの知ることがない、ただ醤油の辛味と薬味の味を減ずることと、多く食べて満腹するに過ぎないのである。停車場のプラットホームや特殊の料理は別として、本当の蕎麦を味わうには、やはり畳の上で静かに座して食べる方が真の味があります。
近来椅子に腰をかけて蕎麦を食べている客の大半は、蕎麦を食べることを知らぬ人が多い。稀に真面目に食べている客もあるが、実際は知らぬのである。前にも述べたごとく、ざぶざぶと汁をみんな猪口に入れ、それへ葱も大根もごたごたに打ち込んで蕎麦を入れると、その猪口の中を箸でこね廻し、そのままかき込むといった風で、甚だしい客になると、ここの家は馬鹿に「ケチ」で汁が少ないなどと小言をいいながら、すまないが少し汁の代りをくれなどといっていることも見受けます。こんなことであるから旨い蕎麦も食べられぬし、また蕎麦屋泣かせにもなる。であるから、こんな客の多い家では、蕎麦も汁もまずいが盛り沢山であります。
ある蕎麦屋の主人の話でありますが、汁物では「天ぷら蕎麦」は大衆向きのものですが、あまりいいものではありません。どっちかといえば素人だましの代物で、通人は「花巻」を好みます。それは、良い蕎麦で良い汁で、それに良い海苔をばらっとかけるから香気も良いし味も良いのです。これはこの海苔が千金の値打ちなのになぜ「薬味をつけないか」と文句をいう客があります。馬鹿だなァと思うこともありますが、お客だから出します。すると葱を海苔の上からばらばらとかけます。これを見ると、アアもうおしまいですよ。
早い頃はこの「花巻」を頼んで薬味をくれなんていう人は、まあ千人に一人だったが、この節は「花巻」を食う客も少ないが、十人に八人までは薬味をくれというので、私の家でも最初は頑張って薬味はつけて出さなかったのですが、つけなければきっと「くれ」といわれるので面倒臭いから今ではつけて出していますが、時にはこの薬味をぽっちりとも使わずに帰る客があります。こんな客を見ると「まだ東京にも粋な人がいるなァ」となつかしく思うことがあります、と話していました。
しかし近来大衆は、蕎麦の味を本位にする人が少なくなって、ごたごたしたものを好むようになったようであります。次に蕎麦の味について二、三の方々の説を略記して御参考に供してみましょう。
佐々木博士の話
「蕎麦が売れなくなったということで、蕎麦に色をつけると話を聞いたが、それはよいことだと思います。豆の粉で色をつけることは栄養上からしても悪いとは思いません。色素からしても青竹色は悪くはない。蕎麦が段々売れなくなったということは、近頃の若い人達は風味ということなどはあまり考えないようであります。私も女学校などへ行っていますが、学校では栄養価のみをいって風味などは全然おるすであります。私も蕎麦好きの方で、一週間のうちに蕎麦を食べない日は二日位です。栄養価が分ったのですから、早く皆人達に食べさせたいものだと思います。今は時代の変わり目でしょう。昔の人は風味をいいましたが、今の人は栄養を主とします。それには牛乳を混ぜるとか卵を混ぜるとかいうこともよいと思います。食べて悪い感じさえしなければ、それと蕎麦の本質を考えて、何を混ぜるにしても栄養価を失わぬようにしたい。饂飩の中に蕎麦を混ぜてもよい。そうすると今の蕎麦と同じものになるかもしれないが」と話されたことがある雑誌に書いてありましたが、著者が思うに、佐々木先生としては栄養学者の第一人者でもあり、また蕎麦研究については最も権威者でありますから御説もごもっともと存じますが、しかし著者も栄養研究所に在職中、栄養ということを主として、饂飩や蕎麦に先生の前説のごとくバターとか牛乳、煮干粉など種々なものを粉に混じて打って料理したこともありましたが、旨いとは思いませんでした。時としては旨いと感じるものもありますが、これも一時的のもので、度々食べるとあきが来て、結果蕎麦は蕎麦切として食べた方が旨くなって来るようであります。女学校で料理を教えるように、栄養々々といっていては栄養となるべきものも結果、不栄養となることも多くなりはせぬかとも存じます。一例を申しますと、最も栄養価のあるものでもその人の嗜好に合わぬものはしたがって旨い感じをいたしませんから、まずいまずいと思って食べたものは、さのみ栄養にもならぬものと存じます。
近頃の学校方面の人は栄養病にかかっているようで、実際栄養の摂り方を知らぬのではありますまいか。過言のようではありますが、実際蕎麦切としては、蕎麦切の味がなければ別に蕎麦でなくとも他に栄養豊富なものも沢山ありましょう。支那蕎麦のごとく蕎麦そのものに味のなきものであれば、汁やかやくをごたごたにして蕎麦の味を食うのでなく、かやくや汁を食べることになってしまうのであります。十人十色と申しますが、そのうち食物ほどまちまちのものはないということができます。なぜならば、著者自身のことでありますが、子供の時に食べたものとまた青年時代に食べたものと五十余歳になった今日とは、全く食物の味、否《いな》嗜好が変わって来るようです。これは著者のみでなく一般の人々もそうであろうと考えます。で、蕎麦そのものには蕎麦としての栄養価があり、またしたじ(汁)にはしたじとしての栄養価があり、あるいは他に使用する品々もそれぞれの栄養価を持ち、蕎麦切として打つには、鶏卵も多少なりとも用い、山の芋や自然薯のごときを使用している訳ですから、特別蕎麦粉の良質であって風味良い粉の中へ混和物をしてまずくして食べないでも、蕎麦そのものの料理の仕方によって他にいくらも栄養分を摂ることができようと存じます。これは学者先生方に対し失礼なる言葉と存じますが、料理者として一言付記すると共に御指導のほどを書中ながら願う次第であります。
堀内中将の話
お国自慢、信州蕎麦。あれには昔から食い方があります。大根をおろした絞り汁に味噌で味をつけ、葱の刻みを薬味とし、それへ蕎麦をちょっぴりとつけて食うのであります。ただし蕎麦は勿論、大根、葱、それぞれに申し条があります。
大根は、練馬あたりで出るような軟派のものではいけません。あんなに白くぶくぶくに太ったのは、水ばかりで駄目であります。アルプス山麓あるいは姨捨山などの痩土に、困苦艱難して成長したものであって、せいぜい五寸、鼠位の太さになっているものに限ります。同じ信州でも川中島や松本平のものではやはりいけません。これをゆっくりと力を入れておろし、力を入れて絞ると、ぽたりぽたりと汁が出ます。肥土のところへできたやつは、絞ればしゃあしゃあ水のように出ますが、水飴のように濃く固まってぽたりと落ちます。これは大根に「のり」があるといって旨いし、第一ひどく辛いのであります。
味は、味噌でもよいが、醤油でもよいのであります。好き好きだが、私は味噌の方が好きであります。それへ入れる刻み葱もまた肥料の充分に利いた畑でできて、白根が一尺もあるような、俗にいう根深は風味がないのです。大根同様、痩土に成長して五寸位のもので、信州でも若槻のが一番よろしいのであります。
大根をおろす時は「頭をぶんなぐれ」という諺がある位で、腹を立てて、うんうんいっておろす位の硬いものがいいのです。軟らかいものは甘くて蕎麦の味とぴったりとこないのです。この大根、この葱で拵えた汁の辛いというものは眼の玉がとび出るほどで、従って汁をたっぷりつけたくともつけられないのであります。
大根は皮つきのまま、必ず尻っぽの方からおろすとよいのです。これを逆に頭の方からおろすと、ぐっと辛味がなくなってしまう、不思議なことです。
そこで蕎麦でありますが、これがまた問題で、信州では実は蕎麦はもう贅沢品の中に入っています。どこもここも桑畑になって、まるきり蕎麦などを作る処がなくなってしまい、自然本当の蕎麦粉は非常に少ないものになっています。
粉は戸隠山の産、これも「蕎麦の木」がようやく六寸位のものからとります。和田峠付近のもまあよいのです。
更科蕎麦というが、もうあの辺では蕎麦らしい蕎麦は食えなくなっています。長野、松本など勿論駄目です。かろうじて蕎麦らしい蕎麦を食い得るのは、今では僅かに一茶の柏原付近ぐらいのものでありましょう。また日本料理研究会々長の医学博士、竹内先生は次のような話をされています。
浜町花やしきに「吉田」という蕎麦屋があります。そこは昔からなかなか売ったもので、このうちの「茶蕎麦」はまず天下一品でありました。ところがひょっこり「コロッケー蕎麦」という妙なものを売り出し始めた、ああいけないなァと思っているうちに、もう駄目でありました。蕎麦はぐんぐん邪道へ落ちてお話にならなくなってしまいました。下谷池の端の蓮玉庵もなかなか旨いもので、十五、六年前は蕎麦食いたちは東京第一の折紙をつけ、私なども毎日のように通ったものですが、これも今はいけなくなり、蕎麦そのものの味と下地の味とがどうもぴったりと来ないようになったのであります。
神田の「やぶ蕎麦」もいいが、ちと下地の味が重い上に、器物に不満のところがあります。私の一番いいのは、月並だがやはり、麻布永坂の「更科」で、あのうちの「更科蕎麦」には何ともいえない風味があり
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