では、御維新後、蕎麦は「もり、かけ」十六文、店の前の往来へ大抵正面に「二八」横の方に「二八蕎麦」と書いた大きな「あんどん」がおいてありまして、下開きの幅の広い板が台について障子紙を張ってあり、横長の「かけあんどん」には「そば、うどん、もり、かけ」と最初に書いて、それから「花巻、玉子とじ、天ぷら、しっぽく、南ばん」と順に右から左へ縦書にしてありました。これが夜の四つ(今日の午后十時)まではとぼとぼと道を照らしていたものであります。ところによっては往来のこのあかりがひとしお淋しく感じさせます。
武家は余りまいりませんが、町人は食べに行きます。家の内の拵えは今と大差なく、やはり切り落としの土間になっていて、そこに八間がついていました。この八間というのは、今の人々にはちょっと分りにくいけれども、いわば大きな紙の傘で、その下に土瓶形をした金物の油つぼがあって、その口へ火がついているのです。油煙がどんどん出るので、八間へ張った紙はすぐにくすぶったものであります。蕎麦屋とか湯屋のあかりは皆これであったのであります。
蕎麦は手打ち、うでて「しゃっきり」と角があって、おつゆをかけて出されてもきらりと
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