蠅
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)陽炎《かげろう》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一匹|翔《と》んで来て
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梅雨にはひろいものの晴れ上った天気である。俄にかっと照りつけられ数日の霖雨がしみこんだ地面から眩ゆく陽炎《かげろう》がもえている。源一は、茶の間に腹這いになって新聞をよんでいた。台所の方からは、この好晴を喜んだ母親が、勢よく洗濯物を濯いでいる水の音がする。源一がちょうど読みかけている「今夏の周遊は朝鮮と浦塩」という記事の真中へ、蠅が一匹|翔《と》んで来てとまった。小さい、翅の艶もまだ充分出ていないこの蠅はまるで、重大な決心をしてここに翔び下りたので、この一等二十八名という五字のポイント活字の間から大事な営養を吸い取る義務があるのだと、体中で宣言しているような様子で、せわしなく勿体ぶり、活字の上を這い廻る。後脚をすり合わせ、呪文を称えるようなことをする。――源一は小癪な様子が滑稽であった。一体、こんな小さい存在である蠅に、人間はどんな巨大な生きものに見えるだろう。この蠅にしろ、一目で人間一人の顔や
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