。彼は、逞しい肢でしっかりそれにしがみついた。ジジージジュー。とうとう体じゅうに網を張られた小人国のガリバーのように粘りの糸を引きながら起き上った。肢には、抱きついて起きた仲間の骸《むくろ》がついて離れない。その重荷をつけたまま、熊蠅は一歩、一歩、異常な努力のため剛毛の生えた腹を曲げ、吸つく肢を引ずって薬紙の上を歩き出した。雄々しさを褒める感歎が源一の心に湧いた。さあ、もう一歩、もう一歩、不幸な運命と勇ましく闘う王のような熊蠅が、無事にこの粘紙の地獄を抜けきったら、源一は、天晴《あっぱれ》な奴だ、逃してやろうと思った。今、薬紙は、戸棚の前に下っている。蠅取紙を横切れば、熊蠅は襖紙の上に出られる筈であった。この時の熊蠅の肢の踏張り方! 粘りまみれの全身を引ずって行く努力の真剣さ! 源一は気のよい青年であったから、打れたようになってその光景を観察した。もう一分――そら、もう一分の半分ほど。――蠅は、終に恐るべき蠅取紙の外へ一厘ばかり片肢を出した。その途端、源一は蠅の全身を貫き、焔のような歓喜が突走ったのを感じた。源一の心裡に異様な衝動が煽られた。彼は急がずせかず、新聞の間から落ちた広告のビ
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