、子として更に懐かしい一人の婦人としての母の或る力は、雑多な困難と闘いながら一つの旅日記にせよ、よく最後まで書きとおした一事にこもっていると思われるのである。母は楽んで毎月この旅日記の一部分ずつを雑誌『弘道』に掲載していた。別に書斎というものを持たず、食堂の長テーブルの正面に座り、背あかりを受けつつ一冊十五銭ぐらいの帳面の上にかがみこんでは、父からある年の誕生日のおくりものとして貰った万年筆を毛糸の袋からとり出して動かしていた母の姿こそ私共に親愛な母の俤である。昨年五月発病当時も母は例の旅日記の下書きを整理中であったが、遂にそれを自身の手で完結する事が出来ず長逝したのであった。母が幼年及び少女時代を過した築地向島時代の思い出には、明治開化期前後の東京生活が髣髴として興味ふかく初霜(明治三十年の日記)には若かりし父母のつつましい日常の姿が簡素な行文の間に愛らしく子等の前に輝いている。
頁数その他の関係から、この一冊には母が書きのこしたものの僅か五分の一を収録し得たに過ぎないのは残念である。
この家族的な雰囲気に満ちた文集『葭の影』一巻は、私達子等をよろこばせ、尽きぬ感想の源泉となるば
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