聟
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)鼈甲《べっこう》
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「――ただいま」
「おや、おかえんなさいまし」
詮吉が書類鞄をかかえたまま真直二階へあがろうとすると、唐紙のむこうから小母さんがそれを引止めるように声をかけた。
「――ハンカチをかわかしておきましたよ」
「ああそうですか……ありがとう」
詮吉は、母娘二人暮しのこの二階に、或る小さい貿易会社の外勤というふれこみで、もう三ヵ月ばかり下宿しているのであった。
詮吉は唐紙をあけ、倹約な電燈に照されている茶の間に顔を出した。
「ひどい風でしたねえ、さあ、どうぞ一杯」
古い縞銘仙のはんてんを羽織り、小さく丸めた髪に鼈甲《べっこう》の櫛をさしているお豊が、番茶をついで長火鉢の猫板の上へのせた。キチンと畳んだ二枚のハンケチが、これもまた猫板のところに揃えてある。
詮吉は、外套の裾を畳にひろげて中腰のまま、うまそうに熱い番茶を啜った。
「きよ子さん、るすですか」
「ええ。おひるっから一寸五反田へやりましてね。――のん気な娘《こ》だから、いずれゆっくりして来るんでしょうよ」
主人の本田権十
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