たい非条理性と男にとって堪えがたい欺瞞性とにおかれている。「行人」の直は、「明暗」のお敏のように自覚して夫を欺瞞しつつ、その恥に無感覚なような性の女ではない。しかしながら、一郎にとっては二郎がその人当りのいい俗っぽさで自己の本心をつきつめようとしないのが憤ろしいと同じ程度に、直が妻として自分の本心の在りようを夫との間につきとめる必要を感じていないのが絶えざる苦しみの泉である。作者として一郎のこの不満に万腔の支持を与えている漱石は、翻って直の涙の奥底をどこまで凝っと見守ってやっているだろう。直は、家庭のこまこました場合、淋しい靨《えくぼ》をよせて私はどうでも構いませんというひとである。「妾《わたし》のような魂の抜殼はさぞ兄さんにはお気に入らないでしょう。然し私は是で満足です、是で沢山です。兄さんについて今迄何か不足を誰にも云ったことはない積りです」そういう直である。夫に対してもうすこし積極的にしたらどうですと云われて「積極的って何うするの」と訊く直は、果して何一つ燃えるものを内にもっていない女として生れて来ているのだろうか。魂の抜け殼が「大水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息
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