る勤労大衆の反抗を暴圧した。ツァーのロシアの軍隊、憲兵は、血につながる勤労大衆を、ストライキしたからと云い、反抗を計画したからと云って虐殺[#「虐殺」に×傍点]した。大学は労働者の息子を入学させなかった。大衆を暗い陰気な讚美歌で眠り込ませる教会と、酒でもりつぶして階級的不満を忘れさせ、勤労大衆を肉体的にも精神的にも腐らすための、そして政府はそれからウンと税を儲けることの出来る酒場だけが、街のいたるところの角にあった。労働者の長い列と、罵り、わめき、パンを買うだけの金をよこせと叫ぶ女房連の列とが、給料日にはきまって酒場の前に見られたという有様であった。
一九〇五年の始めごろ、ただならぬ空気が漂っていた。日露戦争の敗北は、新たな革命運動の波、社会民主党(ロシア共産党――ボルシェビキ――の前身)の勢力の拡大と結びついて、大衆の経済的・政治的不満を深めた。
やがてロシア革命史上の画期的な歴史日が来た。
一九〇五年一月は、帝政ロシアの革命的大衆の歴史にとって、忘れることの出来ぬ記念の月となった。ペテルスブルグの秘密警察の代理者ガポン僧正は、プチロフ工場の四人の労働者の解雇を契機として起った
前へ
次へ
全59ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング