月の革命がプロレタリアートの指導の下に開始された。戦争中も熄《や》まなかったストライキの波は、暴動的大衆行動にまでたかまってきた。「専制主義を倒せ」「戦争をやめろ」というスローガンの下に示威運動が続けられた。
三月三日、すべての職場の集会が持たれ、政治的要求と経済的要求が、結合された。三月八日、婦人デーにはもはや革命が開始された。十日、ボルシェビキは「凡ての者は起て」と飛檄した。十一日、諸工場、諸経営は閉鎖された。三月十二日、クロンスタットの大衆が革命の側に立った。曾て、一九〇五年、モスクワに送られ労働者鎮圧を遂行したプレオブラジェンスキー連隊の兵士が叛乱[#「叛乱」に×傍点]を最初に起した。我々は、ここにもボルシェビキが、一九〇五年の教訓を正しく遂行したことをみるではないか。
同じ日、「国会」は混乱のうちに臨時委員会を選出し、ブルジョア的政府の組織を急いだ。叛乱した兵士と労働者は、労働者・兵士代表ソヴェトを構成した。十三日、ツァー[#「ツァー」に×傍点]の最後のもがきを撃破しつつ、ツァーの高官達が続々逮捕され、或は銃殺された。(日本[#「日本」に×傍点]においても、労農大衆の投獄、拷問、虐殺を行いつつある天皇[#「天皇」に×傍点]と、その憎むべき反動的手先に、革命の制裁を与えねばならぬ)三月十六日、革命の進展におされて、ニコライは遂に退位した。
ツァー[#「ツァー」に×傍点]の支配は三月革命で倒された。が、政権は革命的プロレタリアートの手に握られないで、国会を基礎として、立憲民主党、十月党、メンシェビキ――ブルジョアジーの代表者「臨時政府」がつくられ、それが支配した。臨時政府より遙かに大衆の間に権威を持っていたソヴェトの指導者は、政権をソヴェトに獲得しようとしないで、ブルジョア的政治家が政権へ到達するに委せたのである。ボルシェビキの組織が、戦時、多くの被害を蒙っていたため、ソヴェトの指導部にいたのはメンシェビキであった。
かくて、労働者階級の階級意識と組織が十分成熟していず、妥協主義者によるソヴェトの統制等という事情から、所謂、「二重権力」の時代が始まったのである。レーニンは、「国家と革命」において、「ソヴェトはブルジョア民主主義者の指導のおかげで既に骨抜きになっていたし、また、ブルジョアジーはソヴェトを解散させるには力が不十分であった」と書いている。
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