。自由な、親密な感情を持ったこの動物は、主人が、人夫を入れて物干杙を引き抜かせて去っても、私共が彼を呼んだ声を覚えていると見えて、来るのだ。尤も、これには一つ話がある。
 まだ春も夜寒な頃、十時過ぎて或る印刷所の使が玄関に来た。見ると、一匹の犬が、その使の若者と共に、三和土《たたき》のところに坐っている。
「まあ犬をつれて来たの?」
「いいえ。どっかの犬がついて来て離れないんです」
 使は程なく帰ったが、その犬ばかりは三和土から外へ出ようとしない。
「サアもうお帰り」
「サヨナラ。サヨナラ」
 お辞儀をして見せても去らぬ。敷台へ前脚をかけ、頻に尾を振り、吠《な》いた。
「何だポチ、帰った、帰った」
 一層、足袋をはいた足許にまといつくし、頸環もこわれているし、ブルドッグの雑種らしいところもあるし、私は遂に、
「じゃあお泊り」
と云った、風呂から上ったばかりであったが、私はミルクを振舞われた犬を引いて、茶の間の裏へ廻った。ラジオの柱から繩をつけて椽の下の箱へ寝られるように繋いで自分も眠った。

 次の朝、日曜日であったが、起きると犬は居ぬ。犬は、裏の家へ来る人の犬であったのだそうだ。男の
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング