は窮極の問題ではない。誘惑と云うものは、あって無いものだ。誘惑される主体さえ無ければ。
どっちが先に死の問題を持ち出したか、と云うことは、前の問題よりは重大だ。が、これとてもつきつめれば、何でもない。生活力の旺盛なものに、誰が死の話を持ちかける!
自分にとって、何より大切な、心を掴むことは、彼が実に真面目な人間として最後まで持ちこたえた、と云うことである。
足助氏その他に相談しながら血縁の誰にも一言洩さなかったことの意味もよくわかる。とにかく力一杯にやって来、終に身を賭して自己に殉じてしまった心は、私に人生の遊戯でないことを教え、生きて居る自分に死と云うものの絶対で、逆に力を添える。
自分の一生のうちに、此事は、大きな、大きな、関係を持って居ることだ。
私は、死ぬ気でかかることの力強さを知った。ひとを死なせてもよいと云う信念の崇高さ、厳さも知った。
自分とAとのことも、或底力を得た。とにかく、行く処迄、真心を以て行かせよう。彼が死ぬことになるか、自分がどうかなるか、どちらでもよい。信仰を持ち、人生のおろそかでないことを知ってやる丈やって見ようと云う心持がはっきり来たのだ。
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