た。
 この武田氏の感服をそれだけの意味でとることは、恐らく筆者自身の希望ではないのだろうとも思う。文学というものに絡めて含蓄されているものもあるだろうけれども、列の心理をいろんな面から考えてゆくと、やっぱり或る対比として心に浮んで来る。何をッという気勢は云わば互の気力の渡り合いで、気力のきついものが、時によっては理非をこえて勝をしめる。列の前期の世相の殺気めいたものだと思う。
 列の感覚というものは、どうやら違うようだ。岸田国士氏は、日本人が列のきびしさを知らず、前へわりこまれてもそれを黙っていることを非難しておられた。これを逆に云えば、列というものは、それが列だからという理由で、見知らない人が見知らない人に向って、列からはみ出してはいけません。勝手に前へ入ってはなりません。一番しまいの方に廻りなさい、と指図し或る意味では指導し世話をするとともに世話をも焼く権利のようなものを互に認めあうものだということになる。各人の生活の実体は列に立ったとき、最も単一な面で均等されるわけである。列の心理の一面には、俺だろうがどこの誰様だろうが、というところがある。そして、何となしほかのひとのことに口
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