出しをするのが面映ゆくなくなるような心理の傾きは興味ふかく注意をひかれる。
街の風景に列のある時代の空気は、ものの考えかた感じかたにも列のような癖をつけて、専門外のことへも専門外の人間が口出しをして一向我から怪しまなくなって来る。つまり列の自信がのりうつるのだろう。列を何故つくっているかという理由の大きく深い根源をとかく忘れて、列に立つ自信ばかりが自己目的めいて正面にはびこることは、果して誇りとしていいのだろうか。
パーマネントの問題は一度おこって消えて、最近では女がそんな髪をしてはならないことにきまった。女の便利不便利ということからではなくて、それを見る男の人々の感情へのはばかりが理由となっている。女とすれば、いやな気持をさせたいとは思わないからやめるにちがいない。でも、列というものがその力でどこかをみっしみっしと軋らせはじめると、一番弱々しい箇所に向ってのしかかるのは列の力学とでもいうものだろうか。昔から女は、外で亭主がむしゃくしゃしてきた鬱憤をはらす対象として躾けられて来た。女の生活の眼もいくらかは開いて、そのような列の力学をも、歴史の経てゆく容相の一つとして今は理解してゆく
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