井辺のうねり曲った小道から狩り出されて警察のひろい板敷の上に並んで教訓をうけている若い者たちの写真が出ていた。こういうときの彼等も列になって頭を垂れて叱られている。此等の若い者たちは、自分たちの歪められた青春の列を消す力も才覚も場所も知っていないのだ。思えば列とは何と一抹の憫然《びんぜん》さをも漂わしていることだろう。
列が日常の生活に生じて来る時代の空気は微妙で、列になる前の気分とはおのずと異っているところもいろいろ考えさせる。この春ごろだったか、作家の武田麟太郎氏が、或る短い文章のなかで、何をッの意気について書いていられた。乗物の中へ一人の男が入って来た。そして、或る夫婦ものとそのとなりの勤人風の男との間にある僅の隙間へ、ぎゅっとわり込んだが、もとより大人一人分には無理なところだから、夫婦ものも迷惑そうにするし、勤人もそりゃ無理だという気持を示した。だが言葉に出しては云わない。すると割込んだ男は夫婦ものに向って何をッという気勢を示し、次に勤人に向って、何をッという威脅を示し、完全に一人分の席を占めてしまった。その仔細を見ていた武田氏は、この意気だ、と感服したということがかかれてい
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