日本では今日の女の上にただ今日の陰翳がさしかかっているばかりでない。非常にのろのろと傾きかかり、目前だけを見ればますますその投影がたけを伸ばして来つつあるかのようにさえ感じられる昔の西日の落す陰を身に受けていない者はないのである。
森鴎外という人は、子供を深く愛し、特に教養のことについては無関心でいられなかったらしい。真理と美との人類的遺産を十分理解し、それをよろこび、それに励まされて人間らしく生きる力を、子供らが持つことを希望していたらしい。
鴎外の女性観というものは、従って当時の現実生活にある日本の女の生活諸相に対して決してあきたりていなかったであろう。未来の女の生活ということについて、どのような拡大と波瀾と活溌な女らしい活力の流露とを期待されていただろうか。茉莉や杏奴という日本語として字の伝統的感覚においても美しくしかもそのままローマ綴にしたとき、やはり世界の男が、この日本名の姓を彼らの感情に立って識別できるように扱われているところにも、私は鴎外の内部に融合していた西と東との文化的精髄の豊饒さを思う。この豊饒さは、ある意味で日本文化の歴史の中に再び同じ内容ではかえり来ることの
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