た。
森さんのこの文章をよんで、私はあの日、門をあけて出て来た女のひとが、やっぱり森さんであったろうという確信をたかめた。それから、あの日、車の中の私に向って目にとまるかとまらないかの笑みをふくんだ視線を向けていた女のひとも。あの女のひとの趣味や華やかさを寂しさに沈めて、それなのに素直でいるような風情は、森さんの短いうちに複雑な心のたたみこまれている文章をよんで、はっきりとうなずける。現代の女は、社会のさまざまの姿に揉まれ、生きるためにたたかっているのであるが、森さんの現実の姿と文章の姿とは偽りない率直さで、今日の女の苦悩の一つの姿を語っている。
森茉莉氏のふぜいある苦しみの姿とでもいうようなものの中には、よい意味での人間らしい教養、落付き、ゆとりというようなものがあって、それらは生活の上にある余裕からも生じているが同時に性格的なもので、しかも一応は性格的といわれ得るものに濃くさしているかげがあるように思われる。明治の末から大正にかけての社会・思想史的な余韻とでもいえようか。
私たちは実に痛烈に露出されている今日の矛盾の中に生き明日へよりよく生き抜かんとしているのであるけれども、
前へ
次へ
全19ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング