形式と家常茶飯への没頭、良人の世間並な立身出世に対する関心をだけを一杯にしていたであろう。荷風が、弱々しき気むずかしさでそれらの女の生活と内容に自身を無縁なものと感じ、恋愛の対象としての女を花柳界の人々に求めたことも理解される。荷風は花柳界が時代にとりのこされているものであることも十分承知の上で、ただこのマンネリズムの中にだけ彼の無上に評価する日本の伝統の美が保たれている、女の身ごなし一つにさえその歴史の、みがきがあらわれていると見て、自身を忘られようとする美の騎士になぞらえたのであった。
 外遊時代に書いた「支那街の記」「西遊日誌抄」などをみると、荷風はしきりにボードレェルなどをひいて自傷の状をかなでているのであるが、荷風の本質は決して徹底したデカダンでないし、きっすいの意味でのロマンティストでもないことが感じられる。荷風の本質は多分にお屋敷の規準、世間のおきてに照応するものを蔵していて、しかもその他面にあるものが、自身の内部にあるその常識に抵抗し、常識に納まることを罵倒叱咤し、常識の外に侘び住まんことを憧れ誘っている。ロマンティストであるとして荷風のロマン主義の実質はいわば憧れる心そのことに憧れる風なものである。受動的なロマンティストとでもいえようか。このロマン主義にあらわれている彼の受動性は、ヨーロッパ文化の伝統に対して、日本文化の伝統というものをいきなり在るがままの常套、約束、陳腐ごと受けいれ得る性格にあらわれている。また、作品の到るところに散在する敗残の美の描写も、一方にきわめて常識的な通念が人生における敗残の姿としている。それなりの形、動き、色調を、荷風もそのまま敗残の内容として自身の芸術の上に認めている。荷風にあっては、それに侮蔑の代りに歌を添えるところが異っている。身は偏奇館、あるいは葷斎堂に住して、病を愛撫し、「身を[#「身を」に傍点]落す」自傷を愛撫し、しかしそれらを愛撫するわが芸術家魂というものをひたすらに愛撫する荷風は、ある意味では人生に対する最もエゴイスティックな趣味家ではあるまいか。
 ヨーロッパの婦人の社会生活を見ている荷風は、ヨーロッパ婦人の美しさの讚美者であり、その頽廃の歌手であった。従って、婦人の社会的な自由や生活範囲の拡大ということに反対は唱えない。「英吉利の婦人が選挙権を得ようとする運動にも同情するくらい女権論者である。」男のやることなら女がやってもかまわないとする人である。ヘッダ・ガブラーや人形の家の芝居を眺め「日本にもかかる思想がなくてはならぬと思ったくらいだ」。しかし、彼の現実感情の要素は遙に錯綜した影をもっている。第一、荷風がその美にふける花柳の女たちの生きている世界はどういうものであろうか。彼女たちの身ごなしの美をあるがままに肯定するのであれば、その身ごなしのよって来る心のしな[#「しな」に傍点]をも肯定しなければ、荷風の求める美の統一は破れてしまわなければならない。さらに荷風は男女の恋愛をも、その忍び泣き、憂悶、不如意とくみ合わせた諧調で愛好するのであるから、元より女が、私は愛する権利がありますと叫んで、公然闘う姿を想像し得ない。これらの事情が、荷風の現実としては「婦人参政権の問題なぞもむしろ当然のこととしているくらいである」が、「然し人間は総じて男女の別なく、いかほど正しい当然な事でも、それをば正当なりと自分からは主張せず出しゃばらずに、どこまでも遠慮深くおとなしくしている風がかえって奥床しく美しくはあるまいか」「もし浮む瀬なく、強い者のために沈められ、滅されてしまうものであったならば、それはいわゆる月にむらくも、花に嵐の風情。弱きを滅す強者の下賤にして無礼野蛮なる事を証明するとともに、滅さるる弱きもののいかほど上品で美麗であるかを証明するのみである」という考えかたに到達している。「日本女性の動かすことのできない美は、争ったり主張したりするのではなくて、苦しんだり悩んだりする哀れはかない処にある」と断言している。悋気も女はつつしむべし、と荷風には考えられており、女に悋気せしめる男の側のことは触れられない。その荷風の見かたに適合した何人かの「婦女」がかつて彼の「後堂に蓄え」られたこともあったのである。
 私が、荷風のロマンティシズムを常識的な本質であるとするのは、女のロマンティックな見かたそのものに現れている以上のようなあり来りの特徴にもよるのである。森鴎外は、漱石よりも早く、その青春の開花の時期をドイツで送った。鴎外の婦人に対する感情は、「舞姫」、和歌百首や他の作品の上にもうかがわれるのであるが、鴎外の婦人に対するロマンティシズムは、荷風の受動性とは全く異っている。鴎外は、女がさまざまの社会の波瀾に処し、苦しみ涙をおとしながらなおどこにか凜然とした眼差しを持って立って、周囲
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