そらく予想されるあらゆる困難が潜在しているだろうと考えられる。もし、歴史文学を志す人々が、今日の歴史の根本の性格をいかに捕えるかという努力を放擲して、現象の姿の相似を過去の出来事の中に見出してだけ行ったとすれば、もう其は歴史文学とは云えず、単に過去を題材とした風俗小説になってしまうだろう。歴史文学の歴史文学たる所以は、風俗や諸現象の底にある人間の社会生活推移の動力にまで筆先をふれて行って、初めて意義があるわけなのである。従って、歴史文学者は、先ず今日という歴史の性格をどう見るかということから自身の課題を解きほぐしてゆかなければならないということになる。
 高等学校専門学校程度の教課書から、日本が世界に誇っていた古典文学のいくつかを原形のまま転載することが取りやめられるようになった事実は、小さいことのようであるが意味はなかなかに深い今日の文化文学の事象であると思う。その案を思いついた人々は、明らかに今日というものから見た歴史をその立場からの解義によって判断して、古典を截断し、ふさわしいと考えられるものにした次第であろう。
 このように錯雑した現実の中にある現代の文学としては、云ってみれば
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