史の中で注目される一|齣《こま》である。そして最も興味あることは、この現象が一人の作家の上に、大きい矛盾としてさえあらわれたことである。たとえば、わたしのように、文学における階級性の問題などまったく知らずに書きはじめた作家が、プロレタリア文学運動に参加したとき、理論的な大すじについての理解と創作活動の実践にくいちがいをおかした。理論めいたことについて、理解が素朴であるだけにむしろ極端に強硬だが、創作は正直に自身の新しい生活経験の蓄積の貧寒さをあらわして、ろくな小説一つもかけないという、当人にとって苦しく、文学史的には興味つきない時期をももたらしたりした。
 今日、民主主義文学の運動のなかで、理論的活動と創作活動との統一、有機的な協力は、いっそう重要になってきている。なぜなら、世界の資本主義がファシズムにまで進んだ一九四〇年以来、被害をうける人民層は労働者階級ばかりでなくなった。フランスが反ファシズム運動としての人民戦線、文化擁護運動を世界に提唱したときから、すべての人民層は、インテリゲンツィア、中小工業者までをふくめて、自身の生存権のためにたたかわなければならなくなった。プロレタリア文
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