分に身につけている「私論的要素」をはやく乗りこえることである。一つ一つの作品を分析し、綜合し、生きた作品として評価しつつ、その作品が日本の人民的民主主義のために歩んでいる道を明確に示しつつ、民主主義文学全運動の広場に向って適切に、やさしくきびしく導く能力をもたなければならないと思う。
「創作をはばむものはなにか」という意味深長な伝統を背後にもっている提疑は、この点からこそ作家と理論家と、双方からの努力で氷解されなければならない。作家が創作の力をたかめ、強固にし、あるいは創作する可能性そのものをさえよろこびをもって自身の日々の間に発見してゆくのは、民主主義文学の鮮明な理論が確立され、個々の進歩的意図をもって書かれる作品が、それぞれの角度と本質とで大なり小なり、前進する歴史の生きたいのちに参与しえたことが客観的に評価され、なっとくされたときである。少くとも民主的な立場に立ってかかれた作品に対して、まったく対立する評価があらわれ、それが、民主主義文学の収穫という大きい眼目に立って一致点を見いだせないというようなことがあるとすれば、それは民主主義文学者の敗北である。
 小市民、インテリゲンツィ
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