だ。
 白い牝牛のわきに腰を下ろして乳をしぼって居る。
 ふせたまつ毛は珍らしく長くソーッと富[#「富」に「(ママ)」の注記]かな乳房を揉んで前にある馬けつにそれをためた。
 随分長い間たってもその男は仲間の誰とも口をきかなかった。
 乳をしぼりあげると男は立ちあがって牛の顔をしずかに撫でて母親の様な口調で、
[#ここから2字下げ]
音なしく、してろよ。
[#ここで字下げ終わり]
と云って暗い納屋に入ってしまった。
 ただそれっきりだけれ共、濁声《だみごえ》を張りあげて欠伸の出た事まで大仰に話す東北の此の小村に住む男達の中で私に一番強い印象をあたえたたった一人の男だった。

     口取りと酢のもの

 今日始めて私はいかにもこの上ないほど不味不味しいそして妙な膳のこしらえ方を見た。
 光線のろくに入らない台所でゴトゴトと料理して居た料理人は朱塗の膳に口取りと酢のものと汁をのせて客室に運んだ。
[#ここから2字下げ]
酢のものは?
あとで口取とのせかえるで――
[#ここで字下げ終わり]
 こんな事を平気で云った。
 酒の膳に口取をつける事から妙なのに私はそれを食べた時の味も考えた。

前へ 次へ
全14ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング