てスイスイとたつペンペン草の群を見た。
 屋根の瓦の間に――干た田に又は牧場にひろびろと咲き満ちて居る。
 いかにも可愛らしいなりをして居る。
 私はペンペン草をすいて居る。
 第一そのわだかまりのない気軽な名が気に入って居るし次には白とみどりのすっきりしたお茶漬をサラサラとかっこむ様な趣もすきだ。
 東北のこの地方の子供は前歯でその茎をかんで笛の様な音を出す事を知って居る。
 茎の両端をひっぱってその中央を爪ではじいて軽いしまった響を出す事も子守達が日向に座ってよくして居る事だ。
 山の多い湖の水の澄んだ村に生える草には姿もその呼名もつり合って居る。

     牛乳屋の小僧

 この桑野村で始めて牧牛を始めた石井と云う牛乳屋の家に居る小僧なのだ。
 七八つの子の体をして居るが年を聞けば十二だそうでいかにも小さいなりをして居るが中々可愛い児だ。
 頭も顔もひとっくるめにまんまるちくて目までがまんまるだ。
 生意気に「はっぴ」を着て筆のさやの様なもも引をはいた足に柄にもない草鞋《わらじ》をいつも履いて居る。
 牛乳を家々に配る事と子牛のお守りが役目で寒さに風一つ引かずに暗いうちから働く。
 牧場には十八九頭の牝牛と一匹の勢の強い種牛が居るほか二年子が三匹と当年子が一つ居てかなり賑って居る。
 その中の四匹の子牛のお守りをするのだ。
 体が小形なので子牛でもふざけて走りだすと繩を握って居る小僧はひきずられる。
 私が行くと子牛の背や喉をこすりながらいろいろの事をはなした。
 退屈な時にペンペン草の満ちた牧場に座って小牛の柔かな体を抱えながらこの子の話をきくのは愉快な事の一つだ。
 小さいくせになれて居るので牛の鳴声をききわけてききもしない私に、
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ほら又鳴いた。枯草呉れろってな。
[#ここで字下げ終わり]
なんかと得意になって云ったりする。
 子牛のお守にふさわしい児だ。
 可愛いんで泥たんこの田舎道を私の家まで六本の牛乳を運ぶのがみじめだったんで牧場から帰りにさっき私達の目の前でしぼって消毒した牛乳のあついのを下げて帰ったりする事もあった。
 可愛らしいと思ったばかりで名をきく折はなかった。
 私の記憶には只幼ない可愛い牛乳屋の小僧として長く残って居る事だろう。

     乳しぼりの男

 高原的な眼の輝きとかなり長い髪と白い手を持って居る男だ。
 白い牝牛のわきに腰を下ろして乳をしぼって居る。
 ふせたまつ毛は珍らしく長くソーッと富[#「富」に「(ママ)」の注記]かな乳房を揉んで前にある馬けつにそれをためた。
 随分長い間たってもその男は仲間の誰とも口をきかなかった。
 乳をしぼりあげると男は立ちあがって牛の顔をしずかに撫でて母親の様な口調で、
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音なしく、してろよ。
[#ここで字下げ終わり]
と云って暗い納屋に入ってしまった。
 ただそれっきりだけれ共、濁声《だみごえ》を張りあげて欠伸の出た事まで大仰に話す東北の此の小村に住む男達の中で私に一番強い印象をあたえたたった一人の男だった。

     口取りと酢のもの

 今日始めて私はいかにもこの上ないほど不味不味しいそして妙な膳のこしらえ方を見た。
 光線のろくに入らない台所でゴトゴトと料理して居た料理人は朱塗の膳に口取りと酢のものと汁をのせて客室に運んだ。
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酢のものは?
あとで口取とのせかえるで――
[#ここで字下げ終わり]
 こんな事を平気で云った。
 酒の膳に口取をつける事から妙なのに私はそれを食べた時の味も考えた。
 私の頭の中に考えられた味は、ほんとうに不味い極く極く不愉快なものであった。
 何でもない様でありながら、こんな下司な取りあわせをするかと思うとやたらに、かんしゃくが起った。
 貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]人の多い、東北らしい事だ!
 こんな事も思った。

     娘

 娘だと思われる娘を私は此処に来てから一人も見ない。なにがなし淋しい気持がする事だ。
 十五六の娘達は皆大変色が黒い、そして濁った声と、棒の様な手足と疑り深い眼を大方の娘がもって居た。
 名をきいても返事もしないし、笑いかけてもすぐ後を向いてしまった。
 一体この村は若い男も女もあんまり土着のものでは居ない処で、中学に村々から集る若い人達ほか居ないだろうとさえ思われるほどだ。
 若い娘の居ない村は私にとっていかにも居心地がわるかった。
 私は若い力の乏しい村はきらって居るのだ。

     神官

 八十を越して髪も真白になった神官はM氏と云った。
 澄んだ眼と高い額とは神に仕えるにふさわしい崇尊さを顔に浮べて居た。
 白い衣の衿は少しも汚れて居なかった。
 しずかに落ついて話すべき時にのみ話した。
 四十五
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