ことである。道ばたで葬式にあえば、私たちはひとりでに黙礼の感情をもっていると思う。自分達の航海が無事に終ったにつけても、三等の人たちのその不幸を悼む自然の気持というものはないものだろうか。そのことについて、まるで知らなかったことのようにふれられていない。
船客の中には賀川豊彦氏も交っていて、この宗教家はアメリカなどでは大した信頼をつながれている人だそうだが、恐らくその小説の中で同様の事件があったのなら、何かの形で正義と人間愛の演説をされる機会を持たれただろうが、現実に自分の足の下の暑苦しい船室の中で起ったことに対しては片言もふれていなかった。
船の関係の人があらかじめこの人たちに頼んで沈黙をまもってもらったのなら、それは自ら又別なことである。そして私どもは、もしそうならばそういう手配は必要ではなかったことと感じている。一体にこの事については、一般がもっともっと注意を向けなければなるまいと思う。共同炊事や栄養食の配給ということは食べるものが清潔であるということが、いって見れば第一条件で、腐った鰯でも、卵でもそれが鰯である、卵であるという名目の上から抽象的なカロリーを計算して、そこに発
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