、その卵が腐っていなければ、あれほど猛烈な中毒を引おこすことは決してなかったろう。司厨長は卵焼をこしらえた時間、冷蔵庫に入れた時間、皿に入れた時間を事務的に正確にのべているが、材料になった卵が、新鮮なものであったかという断言はどこにもしていない。龍田丸は三百余名を乗せていたそうだが、中二百余名は三等船客だったそうだ。その半数が中毒にかかったわけである。切迫した国際情勢のために、着のみ着のまま出発して来た人たちで、心身の疲労はいちじるしかったと、それも不幸の一つの原因としていわれているが、もしそれがそんなにはっきり誰の目にも映じているとしたら、新鮮だと断言出来ないような卵をきまった船の献立だからといって、形式的に食わせる不親切な心持を感じる。
もう一つ私たちが大変不思議に感じて驚いた事は、その事件の細かく報道せられている、同じ夕刊にのっている同船の名士たちが記者のインタビューに際して、それぞれに世界情勢、国際情勢を語りながら自分の乗って来たその船で、自分達の娯楽して来たサロンの下の三等船客たちに、そういう気の毒な事件が起ったことについて、誰一人として遺憾と同情の言葉をのべている人がない
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング