に耐えず、また冷遇にたえがたくて離婚したくても、夫が承知しなければ、生涯ただ名ばかりの妻で、保姆と家政婦の日々を暮さなければならなかった。夫である男と妻となる女とが、互の愛と社会的責任において、家庭を営んでゆくのが結婚の原則であるとすれば、その愛が失われ、相互の責任が実行されないとき、離婚がおこるということはさけ難い。離婚は、いつでも、結婚の純潔と互の責任を完うするための分離としてしかあり得ない。
「家」を主にして生活が運転されていた時代は、妻は嫁であり、その妻が母となっても、お母さんである嫁であった。離婚しても、嫁、または子をもった嫁が、その家を去られたのであって、のこされた子を育てるには、姑だの小姑だのがあった。妻を去らせた男の生活の家事的な面はそれらの「家」の女たちによって結構まかなわれた。
 家庭の単位を、夫と妻とその子供たちとする新しい民法で、結婚が男女二人の意志で行われるという場合、これまでよりもっともっと重大な責任を結婚しようとする当人たちが互に自覚しなければならない。お互同士のほかに、苦情の訴えどころもなければ、責任を転嫁する対手もないのだから。同様に、離婚の自由がある
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