出すだろう。共稼ぎで働かなければならない婦人も、職場の古くさいものの考えかたや、母性保護施設のないことから、やはり結婚とともに職をしりぞく率が非常に多い。こうして、働く意志のある婦人も、「家庭の主婦」という位置に追いこまれる。その人々は組合をはなれてしまって、最も孤立した、組織を全くはなれた「妻」になってしまう。夫の組合は、家庭手当と家族慰安会のなかで、妻の存在に関係するばかりである。
 そもそも、結婚にこういう現実のくいちがいがある。このことは、離婚が、婦人にとって簡単に「人間の尊厳」を守ることにならないきょうの現実を、私たちの前に切開して示している。「人間的な尊厳」に立って自由に[#「自由に」に傍点]離婚したとしても、それからさきの生活をちゃんと自由に[#「自由に」に傍点]建設してゆく社会条件が婦人にひらかれていない場合、どういうことになるだろう。
 工場に働く婦人にとって、また学校の先生にさえも停年というものがある。婦人がその仕事に熟達し、女としての経験もゆたかになり、成人しかかる子供たちの教育費に多くの費用がいる時期、妻・主婦・母として一番経済的負担の重い四十歳を越すと、停年で
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