に気持よく朱の線の通っている原稿紙がやがて、昔話になるかもしれませんね。
炭には困るわ。あなたのお仕事は羨しいと存じます。だって一心に練習なさっているとき、舞台にいらっしゃるとき、云ってみれば寒さ知らずでいらっしゃるでしょう。私たちのように凝《じ》っと机にかじりついているものは、冬は炭のいるのを気兼ねしいしいというのでやり切れないところがあります。第一に手がかじかんで、私のこの一ヵ月継続中の風邪のもとは、つい炭が途切れかかったときの記念です。
それにつれて、昔芥川龍之介の書いていた支那游記のなかのことを思い出します。或る支那の文人に会いに行ったら、紫檀の高い椅子卓子、聯が懸けられたまるで火の気のない室へ通された。芥川さんは胴震いをやっと奥歯でくいしめていると、そこへ出て来た主人である文人が握手した手はしんから暖く、芥川さんは部屋の寒さとくらべて大変意外だったそうです。
どうしてそんな手をしてこの火の気のない室に莞爾としていられるのかと、猶も胴ぶるいをこらえつつ観察したら、その文人の長上着の裏にはすっかり毛皮がつけられていたそうです。私たちも、そんなあんばいにやりとうございますね。
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