っていることにあるのではない。自身の敗北の十分な意識の上に立って、その社会的・歴史的要因を作品の中でつきつめようとする熱意を欠いていることである。あらゆる進歩的なインテリゲンツィアと勤労者に、その敗因が全くひとごとではない連帯的な現実の中にあるということを、芸術の息吹によって深く感じさせるべき義務を果して得ていないところに、その努力によって敗因を克服する意志をふるい立てぬところにあると思われるのである。
ヒューマニズムの提唱が総て非人間的な抑圧に抗するものとしての性質をもっているからには、文学に関して云われている社会性のことも、以上のことと全然切りはなしては考えられないのである。
作家が、作家となる最も端緒的な足どりは周囲の生活と自分のこうと思う生活との間で自覚される摩擦である。階級的にどんな立場をとるに至るにしろ、先ず自己というものの意識、それを確立しようとする欲望から出立することは小林多喜二の日記を見てもわかる興味深い事実である。日本のようなインテリゲンツィアの社会環境と思想史とを持つところでは、或る意味で強固な個性が当時の流行的思想に反撥することが、一種の健全性としてあらわれ
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