る場合もある。然し、既に今日の現実の中では、わが個性の確立、発展の欲求を自覚すると同時に、実際問題としてそれを制約している事情との日常的な相剋があり、社会的事情の改善なしに個性の発揚は不可能であるという客観的事実を示している思想は、空な一流派の流行とかその衰退とかの問題であり得ない。
思想的発展の伝統の中で、日本の作家は真の個人主義時代を通過していない。そのために、封建的な自我の剥脱に抗する心持と、新しい社会的事情に向っての闘争の過程で自己を拡大するため、集団的、階級的な形態で自我が認識されなければならないという事実との間に、面倒な理解の混乱が生じ勝ちであり、後者に反撥して自我を主張することから、逆に、最も保守的なものへころがり込む場合さえあるのである。
私は、フランスをとおり、ソヴェトをぬけて帰って来た横光利一氏が、今後どんな風に人及び作家として展開してゆくかという点に、或る興味をもっている。横光氏は、作家としての出発当時、先ずその時分支配的であった小説における志賀直哉氏の影響を反撥することから、歩み出したということをきいたことがある。そのようにして歩き出したこの作家は「上海」を
前へ
次へ
全10ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング