れている。これは、「麦死なず」に於て、五十嵐が牧野を酷評するモメントを、その意識的思想と実際の生活感情の乖離においていることに対して、のべられているのである。
石坂氏の「悪作家より」とこの大森氏の感想文とをあわせ読み、私は、日本における左翼運動が、世界独特な高揚と敗北の過程をとっている、その一般的な歴史的素因の複雑さを、裏からはっきりと、透して見せられたように感じた。何故なら、石坂氏が一プロレタリア作家牧野に最大限の階級的完全性を要求しているその感情こそ、裏をかえせば、とりもなおさず、嘗てプロレタリア作家が少なからずそれによって非難をうけて来た人間の観念化を来らしめたその感情なのであるから。そして、大森氏によって指摘されているこの一種の現実歪曲の根源はと見れば、それは微妙にも当の大森氏が立派な思想は生活とはなれていてもそれとして人々を益すると云っている、微塵悪意のない、だがそこから実際には沢山の抽象論、機械的解釈を発生させる罅《ひび》の間から、立ちのぼって来ているのである。
三
プロレタリア作家の今日における敗北の本質は、その中に人間的にいかがわしき人物をも
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