風に、焼いた餅はいくばくもなくさめる。ぬるくなると、彼は、小さい餅なら一つずつ、大きなのは半分にして、車の簾越しに投げ与えて通った。当時有名であったらしい。
彼の性格の一面が現れ、私には非常に面白く感じられた。
醍醐帝の延喜年間、西暦十世紀頃、京の都大路を、此那実際家、ゆとりのない心持の貴族が通って居たと思うと、或微笑を禁じ得ないではないか。
彼は又、薬師経を枕元で読ませて居た時、軍※[#「田+比」、第3水準1−86−44]羅《くびら》大将とよみあげたのを、我を縊ると読みあげたと勘違いして卒倒した男だ。
笑い出すとだらしなくはめを脱した事。横車を押し意だけ高に何かを罵って居た時、才覚のある者が、ふみばさみに文《ふみ》をはさんで、これを大臣に奉ると云って擬勢を示したら、
[#ここから1字下げ]
「大臣《おとど》ふみもえとらず、手わななきてやがて笑ひて、今日は術《づち》なし、右の大臣にまかせ申すとだにいひやり給はざりければ々々」
[#ここで字下げ終わり]
と大鏡の筆者は記して居る。手を震わせつつにやにやとした時平の蒼白く、頬の肉薄き笑いが目に見えるようだ。僅三十九で死んだ。延喜九年
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング