余録(一九二四年より)
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)大臣《おとど》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)延喜九年|己巳《つちのとみ》四月四日。
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「田+比」、第3水準1−86−44]
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余録
菅公を讒言して太宰の権帥にした、基経の大臣《おとど》の太郎、左大臣時平は、悪逆無道の大男のように思われて居る。
小学歴史で読んだ時から、清くやせた菅原道真に対して、グロテスクな四十男が想像されて居た。ところが、実際はそうでなかったらしい。寧ろひどく偏狭な、神経質な、左大臣の官服の下に猿のような体のあることを想わせる男ではなかったた。小さく窪んだ二つの眼を賤しく左右に配って、せかせか早口な物の云いようをしたようにも想われる。
彼の住居は八條にあった。内裏までかなり遠い。冬だと、彼はその道中に、餅の大きなの一つ、小さいのを二つ焼いて、温石のように体につけて持って行った。京の風に、焼いた餅はいくばくもなくさめる。ぬるくなると、彼は、小さい餅なら一つずつ、大きなのは半分にして、車の簾越しに投げ与えて通った。当時有名であったらしい。
彼の性格の一面が現れ、私には非常に面白く感じられた。
醍醐帝の延喜年間、西暦十世紀頃、京の都大路を、此那実際家、ゆとりのない心持の貴族が通って居たと思うと、或微笑を禁じ得ないではないか。
彼は又、薬師経を枕元で読ませて居た時、軍※[#「田+比」、第3水準1−86−44]羅《くびら》大将とよみあげたのを、我を縊ると読みあげたと勘違いして卒倒した男だ。
笑い出すとだらしなくはめを脱した事。横車を押し意だけ高に何かを罵って居た時、才覚のある者が、ふみばさみに文《ふみ》をはさんで、これを大臣に奉ると云って擬勢を示したら、
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「大臣《おとど》ふみもえとらず、手わななきてやがて笑ひて、今日は術《づち》なし、右の大臣にまかせ申すとだにいひやり給はざりければ々々」
[#ここで字下げ終わり]
と大鏡の筆者は記して居る。手を震わせつつにやにやとした時平の蒼白く、頬の肉薄き笑いが目に見えるようだ。僅三十九で死んだ。延喜九年
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