といつも遠吠えだ。死人《しびと》の魂を動物の本能が感じて恐怖するという遠吠えだ。ワオーと、鼻にぬかして遠吠えする。
天気のいい、そして、或る私が最も神経的になることさえ起らない時なら、その斑犬を見るのも平気だ。困るのは或る一事の外天気のわるい時、雨の降る日。この時こそ私にとって目かくし役をする傘がどんなに有難いかわからない。どんな主人が住んでいるのであろうというのはここのことだ。軒下へ犬小舎を置いてやらない主人は、雨が一日びしょびしょ降りつづいても、小舎を雨ざらしの門傍に出したままだ。坂からの傾斜があるから、泥水はどしどし門内に流れ込む。粘土が泥濘《ぬかるみ》になる。小舎の敷藁――若しあるとして――もぐちょぐちょであろう。斑の、いやに人間みたいな顔付の犬は、小舎の中にも居られず、さりとて鎖があるから好きな雨やどりの場所を求めることも出来ない。苦しまぎれに、自分の小舎の屋根の上に登って四つ脚で突立っている。毛は絶えず雨に打たれる。食物の空《から》瀬戸茶碗がころがっている。樫の枯葉が背中にはりつく。人さえ通ると、ああこれは冷たい、居心地わるい、悲しい、犬でも悲しい。と訴えるように、人間じ
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