みた斑の顔を動かして吠える――遠吠えの短いのをする。鎖を鳴しつつ、危い屋根の上で脚を踏みかえ、ブルブルと佗しさあまる身震いをする。
 だから、私はいやだというのだ。犬の心が傘一重でふせぎ切れるものか。私の足の裏まで雨水づかりで、やり切れなくなったような心持がして来る。
 主人はどういう人なのだろう。
 もう一つの或ることというのは、私の二階から彼方の木立越しに見える小窓の奥に坐している人と、この斑犬との関係だ。私が、斑犬の遠吠えを気にするのは外でもない。此方で奇妙な不幸な境遇に置かれた犬が、冬の青空に向って遠吠えると、きっと暫くして、あの小窓の奥の女の人も吠え出す。やはり遠吠えで、半獣的な、意味の分らない叫声を、喉の奥から心から送り出す……狂人なのだ、その女の人は。有名な精神病院の監禁室の一部が丁度此方向きになっているので、見まいとしても私の眼に、その鉄棒入りの小窓が写る。
 空地があるから、一町ばかりある距離を踰《こ》えて、斑犬の遠吠えが小窓の中へ聞えるらしい。おや、と気づいて耳を澄していると、大抵一分たたないうち、微かな女の唸り声が伝って来る。一度で犬はまたやめたことがない。二度、
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング