ない夜叉のヒューマニズムでも高々とふりかざしているかのように云われる舟橋氏も、主張されるその新胎に立ってしずかに眺められた時、ここに一つの愛し生まんと熱望しつつ歴史の歯車によってその可能を引裂かれている女の、どのような訴えがあり、クレイムがあるかということは、おのずから理解されずにはいないであろうと思う。
日本における今日のヒューマニズムの問題は、その正当な進展の道に、社会の諸事情によって様々の困難を負うている。その困難の深さ、複雑さの一つが、見やすい形ではヒューマニズムの理解における安易な日常性肯定の傾きにあらわれていると思える。ヒューマニズムの理論的闡明に附随している不便や現実の展開の局限などから生じた停滞が、この傾向を助長させているのであろうし、又限界をひろくして観察すれば、そういう傾向にいつしか導き込む安易さが昨年あたりからヒューマニズム提案がなされた初期からの或る底流の一筋としてつづいて来ていることも見出されるのである。
ヒューマニズムはいよいよ上昇線を辿る時代が近づいて来たと舟橋氏は云っておられる。ある人々の主観の中での昂《たかぶ》りでなく、人間生活の歴史的動向に沿うて
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