か、という疑問をとりあげた。又、親子の愛というものの固定的な宗教的でさえある評価の観念に対して、ストリンドベリーのように現実の錯雑を個人の生活経験の範囲で能うかぎりの仮借なさでむいて示した作家もある。
 これらの人道主義的な個人主義的なヒューマニティの理解の時代は、ヨーロッパ大戦の後、或る質的な飛躍と波瀾とを経て今日に到っている。例をアメリカにおける産児の制限の場合にとって見よう。所謂《いわゆる》キリスト教の精神によって、アメリカは従来サンガー夫人たちの所論を公然とは認めていなかった。ただ、必要な場合の医療的処置としてうけ入れていたのであったが、昨今は急に産児を制限する範囲のことは賢い親の義務の一つであるとして、カソリックの坊さんまで、結婚しようとする若い男女の民衆に忠言するようになって来ている。アメリカでは家族の人員によって割増のつく失業労働者手当の予算が尨大になる一方で、労働者が困るばかりか、貧困な労働者や失業者の子供の多いことでは、慈善団体、社会事業施設が等しく閉口して来た。産児の制限に対する態度が変化したのは、社会のこの部分がやかましく云い出したからである。これがアメリカの新し
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