、一応は全くあたりまえのようなことをことあらためて舟橋氏がとりあげておられることから、却って読者の疑問はよびさまされると思う。私という女は夜叉なのであろうか? 子供が可愛いという一般的な日常の感情さえ味うことの出来ない、何かの餓鬼なのであろうか?
 舟橋氏は、私が先頃報知新聞に九月の創作についての感想をかいた中で、「新胎」のテーマが含んでいる歴史的な方向、氏によって嘗て提唱された能動精神のその後の消長等に対する疑義をこの作品の内部に見たことを念頭において、告知板の文章を書いておられるのである。
 ある文学的雰囲気というようなものや、そこの中でののびのびとした気分というようなものから、氏が私の書いた文章をどのようによまれようとも、それは氏の自由であると思う。それはよまれるように読まれるしか仕方がない。ああこのようにも読まれるものかと、筆者は打ち見やる態度でいいのであろう。けれども、舟橋氏が告知板にかかれた文章そのものが、短い表現であるがそのものとして、私たちに一つの課題を呈出していると思う。その点をここで触れて見たい。
 舟橋氏は子供を愛することと、ヒューマニズムとは牴触しない、ヒューマ
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